大徳寺

真言宗智山派に属し、山号を東福山と号する。この地の集落はここから北東の木津川堤防の近くにあったが、川の氾濫によりこの地に移転したと口伝されている。
所有する鰐口(わにぐち)に「東河原村大日堂 永享二年(1430年)」とあるので、もとは村の大日堂であったことが判明する。
 その後、元亀2年(1571年)永春法印が中興開山となり、さらに安政3年(1856年)秀弁法印により本堂が再建されたが、その時に新築ではなく現在の八幡市にあった建物が移築された。現存の本堂がこれにあたり、市内でも唯一の茅葺をとどめる仏殿である。
 明治初め、付近にあった養福寺を併合し不動明王坐像などが移された。
 本尊の大日如来坐像は鎌倉時代末の優れた木像で、京田辺市指定文化財である。このほか、薬師如来坐像(平安時代後期)、不動明王坐像(平安時代)が知られ、中世から近代に至る247点の文書(京都府登録文化財)が伝わり、このなかには、南山城地域では珍しい大永五年(1525年)のものもある。